アルバム『田淵智也』を聴きながら考えたこと——10年間の距離が揺らいだ記録

筆者は田淵智也という人の音楽を、約10年間、曲単位で受け取ってきた。
2014年の冬、Rising Hope(LiSAへの提供曲)を初めて聴いたときの衝撃は忘れられない。それ以来、田淵智也がクレジットに載る曲を少しずつ集めてきた。
「田淵さんの曲は好きです、田淵さんという人のことは知りません」というドライな関係を今まで続けてきているのだ。

この個人名義初のCD、カバーアルバム『田淵智也』は、そんな筆者にとって鏡のようだった。以下は、アルバムの客観的なレビュー、即ち鏡の性能のレビューというよりは、鏡に映った自分との対話の記録である。

リスニング環境について:

CDからApple Lossless Audio Codec(ALAC)で取り込んだものをiPhoneに転送し、骨伝導イヤホン(shokz)で再生、耳にはモルデックスのカモプラグを装着。
(Bluetoothなので「ロスレス」音質ではないし、有線ヘッドホン等でもないが、筆者は低音域の聴力が難聴ギリギリなのでこの環境でないとベースラインが聞こえない。そのためこれが筆者にとっての「フラットに聴ける環境」である。)
音量調節は「田淵成分を少なめに」と考え、ユニゾンの『スカースデイル』で行った。

読んだもの:タワーレコードのフリーペーパー。
知っている曲:1曲目『いかすぜOK』と11曲目『シュガーソングとビターステップ』のみ。『デネブとスピカ』は何度か聴いているはずだが覚えるほど繰り返し聴いている曲ではない。

以下は、1曲は通して聴いて、1曲聴いたら止めて感想を書くという形で書き進めたものである。

1曲目 いかすぜOK / ↑THE HIGH-LOWS↓

もうちょっと暑い感じで歌うのかと思ったら、思ったより癖のない歌い方だった。Bメロが元気で等身大の歌い方だなと感じる。
大好きなハイロウズを歌ってくれたことにニヤニヤしたかったのに裏切られている。

ベースを弾いてるのは誰だったか、田淵さんにしては大人しいのではないか。それとも田淵さんが書くベースラインがうるさい(褒め言葉として)ということなのか、それとも視覚情報で補われているのだろうか。(後日追記、この曲のベースの演奏は田淵さんでした)

田淵さんの太い首にどんな声帯が住んでいるのか、なんとなくわかった気になった。これだけのことでわかるはずがないので、この後裏切られたい。

誠実でなんだか圧倒されてしまった。まだ1曲目なのに。もうちょっと軽くかっこつけて歌って加工したって良かったのにと思ってしまう。
小学生の田淵さんが歌ったのか、小学生の魂を呼び寄せて歌ったのか、それとも田淵さんという人間が丸ごとこういう人なのか。こういう成分を常に持っている人ということだろうか。混乱している。

「ハイロウズだからかっこつけたら逆にかっこ悪いですもんね。この曲の表現としてあえて無骨な感じで歌ってみました。テクニックでそう見せてるだけですよ」であってほしい。

過去、自分が辛かった時期にハイロウズを聴き始めたからハイロウズが自分に刺さった、すなわち「出会う」ことができたような気がしていたのに、純真無垢なままでハイロウズに出会える人がいるのだろうか。

自分より立場が上の大人に意地悪されて世の中を恨んだことがないのだろうか。普段ユニゾンの歌詞からは、そういうことがあったように感じていることをふまえると、それを背負ってでもこんなに純粋に「最後の最後の最後の最後はきっと笑っちゃう」なんて歌えるんだろうか。
ハイロウズの『十四才』という曲に、「そん時は必ずおまえ 十四才にしてやるぜ」(レコードプレイヤーのスイッチを入れればお前をいつでも十四才にしてやる)という歌詞があるが、そういうことなのだろうか。

2曲目 バビロン天使の詩 / the pillows

知らない曲でも、発売前にSNSでイントロだけは聞いてるから知っているのだった。
これってどんな風にディレクションが入ってるんだろう。

サビの後に「イェー」ってすぐに入るのがなんだか好きだ。ユニゾンにもたまにあるからだろうか。

この曲の歌い方のほうが好きかもしれない、というか「無垢すぎて心配にならない」かもしれない。
何を願ってるのかだんだんわからなくなってきたけど、頼む、このままもっとかっこつけたイケイケの田淵を頼む。

曲自体の話になるが、思ったよりも耳馴染みのいい曲でびっくりする。それはそうか、田淵の曲で耳なじみがよくなかったことないもんな。

音楽全体が心地よかったのであまり注目できなかったが、歌詞をもっと聞けばよかったな。

3曲目 僕らについてすべて / throwcurve

このアルバムで初めて、シンセっぽい音がした。
「田淵さんが書きそうだけど書かない曲」っぽいと感じる。

「カバーアルバムを出したら『誰?』という感じになってボケとして面白い」というのはどこかで読んだけど、一般的にカバーって何だっけという気持ちになった。
かっこいい曲だから、自分の気持ちに沿うから、自分の声に合いそう、うまく歌えそう、自分が原作者だから歌う。カバーには色々な狙いと動機があるだろうけど、「ボケとして面白いからカバーアルバム」という企画で、自分の音楽人生を作ってきた曲たちから曲を選び、そうして選ばれた曲たちは、一般的にどのようにカバーされて歌われるものなのだろうか。
田淵さんの音楽人生を変えた曲の紹介として受け取るならタイトルだけでいいはずだし、「田淵さんがこの曲たちに感謝して歌っている」ことを感じ取ろうとするのも何だか違う気がする。

筆者はもちろん音楽のビジネスは1ミリもわからないけど、売れそうなCDを作るならこんな感じに歌って3曲を並べないような気がする。アルバムとしてのメリハリのある流れとかが、ここまでの3曲を聞いた時点でまだ見えていない。

そういえば、次の曲までの間が割と長い気がする。音のない時間が4秒くらいあるかも。
ひとつひとつの曲の世界を大切にしているのかもしれない。

4曲目 風にふかれて / クリープハイプ

歌詞がめちゃくちゃ入ってくる。

この歌い方で息継ぎせずにとても長く歌っているフレーズがある。
肺活量がすごくあるんだろうか。

歌詞の気持ちがわかって、少し辛かった。
歌詞の気持ちがわかったことがある人が歌っているように感じた。
田淵さんもこういう気持ちになったことがあるのかもしれない。

5曲目 Dancing Zombiez / a flood of circle

レコーディング順が知りたいと思った。
隙間に息遣いとかブレが出ると、感情の機微みたいなものを感じた気になってしまうから、シャウトしたり色々テクニックで埋めておいてほしい。

そういう意味では安心して聞けた曲。別に悪い意味ではなく。
「アーティスト写真が更新されました」というくらいの情報量で、びっくりせずに済んだ。

それにしてもここまで本当に、耳に合わない曲がない。
あと6曲あるので、耳になじまない曲があれば正直に書くぞ、と改めて決意をしながら次の曲へ。

6曲目 四月のカーテン / パスピエ

高音が綺麗なので、DIALOGUE+の仮歌もぜひ公開してほしいと思った。

先程の曲では確かにあまり意識しなかったものの、まだテクニックでべったり埋まってる曲が来ない。
濃淡があるが、「田淵さんという人間を少しばかり感じ取っている」ように感じてしまう。ここから先このアルバムはどうなるんだろう。筆者は田淵さんという人を分かった気になってしまうのか。ならずに終わりたいものである。
(人の脳は分かった気になりたがるが、公に出ているものだけで正解が形作られるはずがないから、わかった気になったのであれば不正解である。それはたとえば、条件次第で「そんなことをする人だとは思わなかった」みたいなことを思うような応援スタイルに繋がる気がして、個人的に避けたい。)

7曲目 センスレス・ワンダー / ヒトリエ

印象的なギターリフから始まる。

たくさん歌詞があってたくさん喋っていると隙間が少ないので、安心して聞くことができる。
こんな風に高音と低音を行き来したり、声を器用に裏返したりしていてほしい。

ここまで感想を書きながら聞いてきて気づいたこととしては、筆者自身の田淵観を鏡で見せられているような気分になっているということだ。

8曲目 KOIKI / 赤い公園

「意図を持って歌われた」、つまり「レコーディングっぽさ」をなんとなく感じる曲である。
その観点で言えば、1曲目の頃は「レコーディングっぽさ」をほとんど感じず、ここ数曲でだんだん感じるようになってきたから、そういう意味ではアルバムの流れを少し感じているかもしれない。

先ほどからずっと感じていることだが、曲がどれも耳なじみが良くて驚いている。
筆者は選り好みが激しいというか、たいていどのアーティストの曲でも合わない曲が何割かあって、アルバムやシャッフルで再生していると何曲かは飛ばしてしまうのだが、ユニゾンには珍しくそれがないなと思っていた。
(そういえば、ハイロウズにも「飛ばしてしまう曲」が無かったかもしれない。例えばミスチルはある、スキマスイッチも確かある、B'zも確かある、DIALOGUE+も確かある。)
これは田淵の声が聞ける数少ない曲のうちの一つだからとか、田淵が歌っているからということを抜きにしても、自分の好みに合うような気がする。

世の中に自分に合う曲はまだまだあるのかもしれない。食わず嫌いをしてしまっているのかもしれないとも思う。でも、新しく冒険をする勇気がないから、今のところストライク率100%でこれからもそれ以外のものが来る可能性が低いユニゾンを聞いていればいいんじゃないかとも思うが、難しい。
ユニゾンのメンバーは「ユニゾンが好きだからユニゾンしか聴きません」ということをあまり喜ばないように思う(筆者のコンプレックスに基づく色眼鏡で見た完全なる想像である)
「かっこいい音楽が好きで、バンドだと◯◯とか◯◯とかも好きなんですけど、ユニゾンが一番好きです」というのが「喜ばれるファン」な気がしてしまい、やや後ろめたい。そういえばそもそもこのアルバムにおいて聴いたことのある曲が3曲(ほぼ2曲)しかないというのも、CDを聞く上でコンプレックスではあったことを思い出した。(バンド単位や曲単位で深くハマるクチで、いわゆるロックバンドといえばハイロウズやブルーハーツ以外に2〜3くらいしかわからない。あとユニゾンか。)
2曲目から8曲目まで「本当に邦ロックが好きな人はこういうバンドを聴くんだろうな」というバンドが並んでいて、どれも聴いたことがない自分にとってはこのアルバムで一気に7つのバンドと出会ったことになる。後ろめたさはさておき、今回出会えて感謝である。あとで原曲を聴いてみようと思う。

9曲目 デネブとスピカ / DIALOGUE+

聴き始めたら、原曲を聴いた記憶が意外と蘇ってきた。

DIALOGUE+の曲は仮歌も田淵さんが入れることがあるようだが、こんな感じで歌っているのだろうか。当然だがDIALOGUE+の歌い方とは全然異なるから気になる。
普段DIALOGUE+にはどういう風にディレクションをしているのだろうか。DIALOGUE+のレコーディングディレクターって、勝手に田淵さんだと思っていたけど、違うんだっけか。
DIALOGUE+に書いたものを、自分が歌うならという感じで表現をつけたということなんだろうか。

今まででDIALOGUE+の曲で好きなのは『はじめてのかくめい!』『大冒険をよろしく』『おもいでしりとり』『絶景絶好スーパーデイ』『20xxMUEの光』とかである。(こうして並べると懐古厨か? もしくは田淵曲かどうかも関係なくアップテンポなら何でもいいと思っているのだろうか。)

アルバム『DIALOGUE+2』を持っていて、『デネブとスピカ』も収録されているけど、すごくハマってリピートした曲ではない。
今『デネブとスピカ』をいい曲だなと思っていることは、自分が「田淵のファンである」ことの示唆のようで変な感じがする。自分自身を「田淵の音楽のファン」だと思っていたからだ。

(ここはライナーノーツを読んでから後から書き足している部分である。
田淵さんが『春が来てぼくら』に思い入れがあるというのは、今までにも読んだことがあって、これは初めて読んだ時から「わかるな」と思っていた。筆者がもし『春が来てぼくら』を書けるような人生だったとしたらそう思うような気がする。でも『デネブとスピカ』がこの括りに入るというのがまだ理解できていない。いつか分かりたい。)

10曲目 或星 / 多次元制御機構よだか

多分原曲のCDを買って聞いてから、こちらのカバーを聞くべきなんだろうけど、勢いのままに先に聞いてしまおう。

思ったよりもユニゾンぽくない。「田淵が書きそうにない」というか。
(田淵さんはご自身が書くような雰囲気の曲がお好きなのではないかという先入観があったが違うようだ。)

いい曲だな、原曲を聞いてみたいなという気にさせられてきた。
原曲を聞いてみたい気持ちが10曲の中では一番高いかも。でも田淵さんがいつも「よだかは曲がいい」と書かれているのがバイアスになっているのかもしれない。

そういえば、原曲を聞いてみたいと思わせるのは、田淵さんの狙いの1つではあったように思う。そういう流れや方向性で作ったアルバムなのだろうか。だとしたら、まんまとはまっている。

「ねえ忘れないで 僕らずっと 許されてること」と「帰ろう、明日へ」の歌詞が頭の中に残ってずっとぐるぐる回っている(ちなみに少なくとも翌々日まで同じ状態である)。たぶんこのぐるぐるがまた欲しくなったときに、この曲を再生してしまうと思う。それがこのトラックであるか、原曲のものであるか、今はわからないが。

あまり短絡的なことは言いたくないが、メロディが好きなのに歌詞もとても好み。

11曲目 シュガーソングとビターステップ / UNISON SQUARE GARDEN

先にSNSでイントロだけは聞いていたので、調が違うことだけは知っている。ドラムの音が全く変わらないのに調が異なるから、「ドラムとのハモり方が変わる」ことでちょっと不思議な感じになる。

「うわ、斎藤宏介が歌うことを想定して書かれた曲だ」というのを、一番のAメロから感じさせられた。この曲は、斎藤宏介が歌った時に本気を出す気がする。

斎藤宏介氏のコーラスに応援のような暖かさがある。保育園で窓がマジックミラーとかになってて、子どもが気づかないように親が様子を覗けるみたいな。

歌詞のリズムの刻み方というか、アクセントの付け方が原曲と少し異なるのが面白い。

「あっちを向いてよ 背を向けないでよ」のコーラスってこんな音程だったんだ。多分後でこの部分は100回聞くと思う。歌が上手い人はコーラスもうまいのだという当たり前のことを感じた。

これは先ほどとは違う意味で、原曲が聞きたくなる曲。歌唱の差がどうこうという意味ではなくて、「ユニゾンで演奏され斎藤宏介が歌うことを想定して作った」という前提で、作詞作曲家としての田淵とユニゾンというバンドをすごいと思う気持ちが強まってしまう。

この曲を作った人と斎藤宏介さんが同じ時代に生まれてバンドを組んで、この人がそのバンドのために作った曲が演奏されて歌われて、今リアルタイムに世の中に増えていっているありがたみをもっと噛み締めなければいけないと思った。

転調先も全部移調しているから、転調のたびに「おっ、こういう景色か」という気持ちになる。(転調:和音によって数小節だけ転調しているように聞こえる部分)

全部聞いてみての感想

いろんな田淵がいたけど、結局「見られたい自分を盛りに盛った奇跡の一枚」みたいな瞬間はどこにもなかったように思う。他撮りの、加工していない、撮って出しの部分がどの曲にもあった気がする。でも勘違いかもしれない。

「できることはする、できないことはしない」という歌い方であるように感じた。等身大過ぎて、「もうちょっとかっこつけてほしい」とずっと感じていた。
「かっこつける」というのは、「たとえ表現に必要ないとしても技術で隙間を埋めてほしい」ということだ。テクニックだけ拾いつづければそのことだけを考えて最後まで聴き通せるような。「自分、歌上手いでしょ」みたいなのも音楽を聴く上でのノイズだから、もっとたくさん入れておいて欲しかった。
または、もっとピッチ補正をびっちりかけたみたいな声に仕上げるとか。
もしくは、余韻とか細かいところを感じる余裕がないくらいシンセとかの音をたくさん鳴らして埋めておいてほしかった。

そうじゃなかったから、純度100%の音楽を浴びせられたし、田淵智也という人間に触れたように感じてしまう。
音楽、もっと言えば作詞作曲、つまり「楽譜」というプロトコルに乗る部分だけを受け取ってきたのに、「人」が見えたような気になってしまう。

10年間、この曲も好き、この曲も好き、と小さく小さくドット絵を受け取って積み重ねてきた。このドット絵を集め続けても、奥にいる「人」のことはあまり分からないだろう、という想定でこの10年間音楽を聴いてきた。
そんな自分と田淵楽曲との関係が、このアルバムで変わってしまいそうで怖くなった瞬間もあった。ドット絵を集めてきたのに、突然4K画質の写真を見てしまったみたいだったからだ。田淵智也という人間を演繹的に理解した気になってしまいそうだと思った。

心にブレーキをかけていたからか、田淵さんという人全体が見えたとは現時点では思っていない。
しかし、「田淵さんは書く曲だけじゃなくて、音楽というものにかなり誠実な人なんじゃないか」みたいなことを、思う予定も全然なかったのに、思ってしまった。

「なぜか自分にとってすごく高いストライク率でボールを投げてくるピッチングマシーンあるいはブラックボックス」だと思い込もうとしてきたのに、人間が投げている気がしてきてしまったみたいな。人間の体温があることが分かってしまったみたいな。

予定にはなかったことだけれど、「このアルバムが発売されないほうがよかった」とも「聴かなければよかった」とも思っていない。発売されて嬉しかったし、聴いてよかったし、聴いた今も「リリースしてもらえてありがたかった」と感じている。
今回このアルバムを予約してまで買ったことだって、筆者が薄々田淵さんという人に興味を持ち始めていたことの顕現だったように思う。

これを聴いたことに甘えて、「人としての田淵智也さん」を知った気になりすぎないようにしたい。
好きな曲が多かったという事実は変わらないし、このCDをも田淵さんの書く楽曲をも、これからも変わらず聴き続けていきたいと思っている。

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